最近は新たなテーマで絵を描いていると、前回のブログに書きましたが、ここ数日はこれまでと同様に、生きること死ぬことがテーマの作品も描いています。
先日、年下の若者に聞かれました。
「ますみさんはどうして生きているのですか?」
濁りが無さすぎて苦しくなるような聞き方でした。
「私も生き物だから、本能的に生きようとしてしまうのではないかと思う。あとは、うまく言えないけど、自分や自分に宿った者の無念を晴らしたいと思っているからかもしれない。」
たぶんこんなふうに答えたと思います。また理屈っぽくてわかりにくい答え方をしてしまったかなと思いました。
「自分が死にたいと思っていた時は、止めないでほしいと思ったこともあるけど、他の人が死のうとしていたら、やっぱり止めようとしちゃうな。」という話もしました。すると若者も、「自分もそうです。」と言いました。
いつも隣に「死」という名の透明人間のお友だちがいるような人がこの世にはいると思います。私もそのひとりです。(脳の作りのせいで死に考えが及びやすいのかもしれないとも思っています。)どんなに困難な状況でも生きるために闘う映画の主人公を遠い目で見ていたり、コロナ禍で「命を守る行動を」と繰り返されるスローガンに人知れず追い詰められていたり…
透明なお友だちをもつと大変なことは多いです。
でも嫌いではないんです。要らない奴だとも思いません。支配さえされなければ。
若者には、「共に生きよう」とはなかなか言えず、もちろん「死んでしまえばいい」なんて思わないし、
「私はここにいて、あなたのことを心配している」ということを伝えようとすることしかできませんでした。