学級目標とプチプチ袋のおはなし

新年度多くの学生さんたちは、学校が始まったら学級目標を決めるのではないでしょうか。今回は私の学級目標のエピソードを投稿します。


私が通っていた小学校は生徒数が少なく、また私の学年は特に人数が少なかったので、もちろんクラス替えもなく、いつも同じメンバーでした。そんな中で毎年学級目標を考えるのはけっこう大変でした。

人数が少ないから人任せにできない、自分が参加するしかないという環境でした。(いい環境とも言える)学級目標を決めるときも、必ず全員が意見を出さなければ終わらないというような状況でした。私はかなり真面目だったし、いつまで経っても決まらないでいる時間が嫌いだったので、積極的に意見を言っていたような記憶があります。

でも本来私は集団生活や組織に属することが苦手なので(小学生の頃はそのことにまだ気付いていなかったが)、みんなが同じ方向を向いて頑張るための目当てを決めることも、それを黒板の上に掲げてそこで生活することも、なんだか気持ち悪いような気がしていました。


なぜ学級目標を決めるのか、クラスをよくするとはどういうことか毎年考え込んだような気がします。そしてそれを考えた結果、学級目標がない方がこのクラスはうまくいくのではないか?なんて思ったこともありました。しかし、それを提案してみようとまでは思いませんでした。まだ思春期前だったし、学級目標とはそういうものなのだろうと思っていました。


中学生になると、クラスメイトの人数がぐんと増えて、クラス替えも行われるようになりました。まだお互いのことを全然知らないのに、すぐに目標を決めなければならないことに疑問を持ちました。もう少し一緒に過ごしてみてから考えればいいのではないかしかしやはりそれを提案してみようという発想は起こらず、そういうものなのだと思っていました。


ここで言いたいのですが、私は学級目標を決める慣習を批判しているわけではないのです。むしろいい経験になったと思っています。なんのための学級目標なのか、必要なのか不要なのかいろいろ考えたこともいい経験だし、疑問を持ちながらも周囲に合わせていたこともまたいい経験なのです。さらに、今振り返っていろいろ思うことかあるのもいいことだと思います。つくづく、私は私の人生を余すところなく使い切っているよな〜と感じます。例えるなら、とても大きなプチプチ袋のプチプチを一つ残らず潰していくような感じです。過去の感情、過去の空気を私はたくさん保存している。何かひとつ消化するたびに、プチプチが潰されて過去の空気が解き放たれる。

潰れる時は快感です。一生懸命生きて、過去の空気をとっておいてくれた自分に感謝しています。


という、学級目標とプチプチ袋のおはなしでした