フロローとわたし(ノートルダムの鐘の余韻はまだ続いている!)

6月から今まで……5ヶ月くらい経ちますが、まだノートルダムの鐘にハマり続けています()

 

ディズニーアニメーションと劇団四季のミュージカルを見て、「ノートル=ダム・ド・パリ」(角川文庫)も読んで、

どのキャラクターにも未熟さや寂しさがあり魅力的だと感じましたが、やっぱりフロロー(原作小説ではクロード・フロロ)がなんだか気になってしまう私です。

 

最近ゲームでもフロロー判事(アニメでは裁判所の判事なのです。)をイメージしたキャラクターができて、フロローファンが盛り上がっていますね。

 

ディズニーではフロローは一応悪役(ヴィラン)のポジションなのですが、

私は子どもの頃から物語の悪役を好きになる傾向がありました。

ピュアな主人公とは反対の魅力の方が好みだったようです。堂々と悪いことをしたり、人を見下して悪態をつく様子を見ると少しスッキリしたり(子どもの頃からすでに心の闇が……)、でも必ずあっけなくやっつけられることに安心感を覚えていたり。

 

もう少し年齢が上がると、完全に悪の心に染まり切ってはいないような、自分との戦いに苦しんでいるうちに道を誤ったようなキャラクターも大好きになりました。

 

 

現実の世界で私は、

優しくありたい

誠実でありたい

公平でありたい 

という気持ちを強く持って、完璧な人にはなれないとわかっているけど無意識のうちに完璧を目指しています。それができなかったら絶望と不安が押し寄せることもあるし、他の人があまりにもそれをできていないと苛立つこともあります。

 

でも、物語の世界になるとそれが逆転して、美しく純粋な人よりも人間臭くて不完全な人にたまらなく愛着が湧くのです。

 

 

現実の世界でも人の不完全さをもっと愛すことができればいいのに……と思う時があり、でもうまく愛せない私もまた不完全な人だし、それを……

あれ?どんな話だっけ?()

 

日々小さな葛藤はありますが、これまでの経験から思うに、ブツっと断ち切らずに付き合っていると緩やかに変わっていく場合もあるから、

ゆっくり素敵になっていけばいいのかなと思います。

 

 

ちなみに、私が小学生くらいのころが1番、フロローに心が似ていたのではないかと思っています。自主的に清く正しく、俗っぽいものを遠ざけてました。それを思えば今はなんてオープンなのでしょう!成長しました!